先日、大学生スタッフの先生(一宮卒、名大医医)との会話
木村:
まえ生徒に『なんでうちの卒業生(西春)のなかには学校の授業だけで名大に受かる人がいるんですか。それだけで行けるイメージがまったくわきません』と言われて、そのときは『受かる30人の後ろにはそれ以上の屍が山積みなのだよ、割合の問題だよ』と答えたのだけど、どう思う?
スタ:
割合もあると思いますが、学校のことを完全に信じてありえない量の予習復習を完全にこなせる人もなかにはいて、信じ切ることができると受かる傾向にある気がします。でも高校生って「学校の勉強は非効率だと思っているけど、追試がイヤだからしかたなく定期考査の勉強をする」というケースが多くて、学校のことを信じている人は少ないです。だからといって、自分の意思をつらぬこうとすると先生に怒られたりするので結局中途半端になります。名大の同級生を見てると、塾か予備校でやってたという人が多いです。
という話がありました。
教訓としては
学校でも塾でも信じきることができると強い
なんですが、これって明日から使える即効性のある教訓というよりは、もうどうしようもないリトマス紙のような気がします。
というのも、今blogを読んでいる高校生か、中学生か、保護者のかたかわかりませんが、現状学校や塾を信じきっているかどうかというのは自分の心に聞いてみれば一瞬で分かることであって、中途半端な状態の人が「じゃあ明日から信じてみよう」と考えてみたところで、それはたいして好きじゃない異性を好きだと思い込むようなものです。
10日くらいずっと「好きだ好きだ好きだ」と鏡の前で自分に言い聞かせてみたらひょっとしたら本当に好きになるかもしれませんが・・・。
教訓自体は、私も完全にそうだと思います。
受かるか受からないか不安なもやもやした視界不良の受験生活のなかで、合格までのみちのりをはっきりと示してくれるように思えるのが信じる力です。
夜、家の中で電気を付けずに真っ暗な状態で移動してみるとゆっくりと壁に手をあてながら足の小指をぶつけないように歩く必要がありますが、足下だけであっても電気が照らされていれば真っ暗な状態より速く移動できます。
この人の言うとおりやっておけば大丈夫そうだという気持ちは、足下を明るくしてくれる照明と一緒で、それによって不安なく勉強をすすめる効果があります。
管理教育をぶっ壊〜す!
などと意味不明な言動をしている私のことを信じている当塾の生徒は純粋無垢すぎて5年後くらいにネットワークビジネスに騙されないか大変心配ですが、残念ながら大学受験においてはその信心深さによって学力が伸びます。でも家の外で「そうでんがくしゃに通っているよ〜」などと言うと「この非国民がぁ!」といって石を投げられる可能性があるので隠れキリシタンのように自宅で祈っていてください。