生徒全員に強制でやらせるという発想は、「お前らほっといたら勉強しないアホになるから、勉強させてあげるのだ」という父権的な発想です。
もちろん学生を野放しにすると、高校生なら自分から勉強する層としない層に分かれるでしょうし(3-5月はずいぶん差がついたと思います)、小学生以下くらいなら親がお金をだして教育を与える層とそうしない層に分かれるでしょうから、そういう父権的発想によって格差を是正する効果があることもたしかです。
縦軸に学力をとって学生たちの学力を比較すると、どう分布するかはさておき、少なくとも偏りが生じます。
横軸を棒グラフではなく、折れ線にかえてみます。
赤色のような格差が生じるでしょう。
強制の授業(まさに義務教育!)によって、下位層の学力が補正されるので格差が縮まります。
塾はどこか特定の層を伸ばすというものではなく、月謝を払ってくださっている全員にたいして効果があるような設計思想を持っています。
もちろん生徒10人にたいして全員違うことをやらせるわけではなく、実際には上中下の三段階くらいの難易度差でメニューを決めています。
これは私が誰か特定の生徒にたいして家庭教師として一対一でつきっきりで教えることが仮にあったとしても変わりません。生徒の学力をざっくり分けて、初歩的な参考書から理解していくのか、そうでないのかの違いを判断します。
しかしいったん授業で問題の説明に入れば、学力も理解スピードも異なる生徒10人にたいして10通りの接し方がありますし、同じ生徒でも調子のいい日と悪い日があるので説明の粒度は変わります。
複数の生徒が同じ問題の同じ箇所を解いていてつまづいていても、
「ここさあ、どうなん?」
という問いかけをするだけで「あっ、そうか」と進んでいく生徒もいれば
「ちょっとムズいと思うから説明するわ」
と、その場で説明して理解してもらう生徒もいます。