月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

いらん

管理教育系の高校で補習にでないという決断をすると、たいてい先生と揉めます。高校生くらいだと大人とそういう話し合いをするのに、大人同士がするのとは比べものにならないくらいプレッシャーがかかると思います。なので勇気をだしてそういう決断をしょうとする塾生は尊敬に値します。

一方で所属する学校によってはそんなプレッシャーのかかる話し合いなんてしなくても、夏休みや放課後に自分が使いたいように時間を使う選択ができます。

たしかに先生と交渉するという勇気のいる経験をすることは成長を促すと思いますが、それが必要な成長過程かというとそうは思いません。

人間はこれまで歴史を通じて自由な身分を勝ち取ってきました。日本国憲法によっても私たちは自由を宣言されています。

その自由を阻害するような高校教育は「良い・悪い」とか「好む・好まない」という次元ではなくて「悪い」に決まっています。

ただでさえ大学受験は受験生に大きなプレッシャーを与えるのに、さらに高校から余計にプレッシャーを受けるなんてあまりに酷です。

さらに運が悪いと教師が学校で「補習にでてないやつがいるがそういうやつは・・・」とかいって本人がいないところで悪口を言い出します。西春高校でした。

そんな精神的苦痛を受ける通過儀礼が高校生に必要でしょうか?

自分の人生に対して自分で責任をもとうとしている若い人にたいして、誰が邪魔する権利を持てるでしょうか?

なんでこの手の高校には快く「自分で決めたなら頑張れ」と言える大人がただの一人もいないんでしょうか?

「補習を受ける決まりになっている」じゃねーよ先生は高校が「みんなで死ぬ」って決めたら死ぬんですか?

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