古文や三角関数の勉強をしたって、実生活にはなんら役に立ちそうもありません。
その勉強自体が楽しいと思える人にとっては役に立ちますが、どうしても興味をもてない科目は誰にでもあるもの。古文や三角関数に興味を持てない人は、将来役に立つようにテレアポの取り方とか、自動車整備の技術や、髪の切り方などを勉強したほうがよいかも?
でもちょっと待って下さい。
たとえば古文の勉強と、地震予測がつながっていたらどうでしょう?
日本のお寺には古い時代の日記が保存されていることがあって、日本の地震学者のなかにはお寺の古文書(こもんじょ)を読み解いて大昔の地震の記録を調べて、大地震の周期を考える人もいます。
三角関数と地震予測だったら?
地震波がつたわる地下構造の計算にはスネルの法則といって三角関数を含む計算を行います。
これらは私が知りうる範囲で、実用性がある勉強のなかで、中高生のうちにはその価値がわからないものの例です。
もちろん私が知らない範囲でもこんな例は枚挙にいとまが無いでしょう。
つまりですね、役に立つか立たないかなんて末端の一国民が評価できるわけないんです。何者でもない空っぽの中高生は、何もいわずとにかく脳みそに詰め込めるだけ知識を詰め込めばいいんですよ。
世の中のあらゆることは有機的に結びついているので、一個人が見える範囲で役に立つとか立たないとかなんてたかが知れてます。
そういうことは日本の教育を設計する人が考えるべき問題です。
しかし実際には今の日本の教育の設計なんて、おそらく誰もたいして考えてないです。
でもそれでも日本が農業から工業まで自国内でやっていけているので、国民の教育と大学での基礎研究、そして企業における研究と産業の発展のバランスがそれなりにうまくいっているんじゃないですか?