ゴールを設定したときに、それを実現する手段を導くというのは論理的思考力によって差が出ます。同じ100時間を費やすのなら、ゴールを達成する手段は正確なほうがもちろん良い。手段の正確さというのは係数であり、係数1の手段を作ることができる人もいれば0.1の手段しか作れない人もいます。同じ100時間を費やしたとしても、100のアウトプットを得られる人と10しか得られない人の差として現れます。
ではどうすれば正確な手段を導くことが出来るのか。論理に頼ることになります。
論理に頼るといってもいきなり「さあ考えよ」と言って、テキパキと考えられる人はいません。まずは、どういう枠組みで考え始めればよいのかを決めます。大学受験でいえば、その枠組みは「目標、現状」です。目標とは、自分の目標とする大学のレベルがどの程度なのか。自分の所属している高校のトップ1割ならいけるのか、2割でいいのか、トップ2%ではないとダメなのか。それによって、到達地点を具体的にします。さらに具体的にするために、必要な受験科目と合格最低点と過去問題を見て研究します。現状とは、自分の現時点の学力です。得意科目は何で、苦手科目は何なのか。中学校の教科書レベルは最低限暗記しているのか。
こうやって目標と現状を具体的に眺めていくと、その差を埋めるためにどんな勉強をしていけばよいのかが見えてきます。しかし、見えてくるといっても私は経験があるので見えてきますが、普通の公立高校生は見えてきません。見えているつもりであっても、見えません。そこで、塾で入れ知恵をしてあげるわけです。あなたの目標レベルはこう、現状はこう、で、必要な勉強はこれ。
塾の宣伝はさておき、受験勉強で考えれば枠組みは「目標、現状」です。
可愛い彼女が欲しいというゴールを設定すれば枠組みは「出会いの数、歩留まり」が考えられるでしょうし、お金を稼ぎたいというゴールなら「出来ること、やりたいこと、すべきこと」が最初の枠組みかもしれません。
そもそもこの枠組みが見抜けないと思考がスタートしないので、ものごとを俯瞰的・鳥瞰的に見る経験や能力が必要です。数学で言えば、「証明せよ」と言われたときに、差をとってみるのか?帰納法を使うのか?背理法か?というように、まず問題を上から眺めてみて(俯瞰的に考えて)、「自然数nの問題だから、まず帰納法をやってみよう」という風に(論理的に判断して)、第一手を打つようなことです。
俯瞰的・鳥瞰的にものごとを眺めるには、周りの大多数の友人がどうこうということとは完全に切り離さなければいけません。常識を疑えというのは、俯瞰的・鳥瞰的に眺めろと言い換えられるかもしれません。