月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

みんなヒマなだけ理論

昨日はワールドカップみて感動した一方で、観客の日本人たちをみたら誰一人マスクなんてしていなくて、いかに日本国内が抑圧環境にあるかわかって馬鹿馬鹿しい気持ちにもなりました。

先日の記事にもかきましたが、今時コロナ対策など神経質になっているように見える人でも結局その人の生活全体をみてみたら合理性なんてほとんどありません。

大学の先生は「マスクしろ」というわりに学生にしゃべらせるわ自分は学生の近くにきてしゃべるわで矛盾しているし、blog読者のみなさんだって外出時にはよそ行きの顔パンツをしっかり身につけているわりに、帰宅したらすぐ外しているんじゃないですか?古い言葉になりましたが自宅が最も「三密」のはずですけど、神経質になるなら自宅でもしっかりパンツ着用すべきだと思います。

この矛盾を説明する理論として、「みんなヒマなだけ理論」を提唱したいと思います。

結局、みんな夢とか目標がなくてヒマだから、話題が欲しいんですよ。刺激がほしいんです。

たまにカフェにいくと後ろの席から子どもが中高生のママたちが熱心に教育の話をしているのが聞こえます。主婦をやっていると子育てくらいしか話題がなくなるのは仕方ないのでそれを「ヒマ」というネガティブな言葉で説明するのは大変申し訳ないんですが、自分がもつ未来についての話題がないヒマな人が誰かと会話しようとするとどうしても他人(この場合は子ども)の話題になってしまいます。

あー今思い出しました。私が以前会社勤めをしていたとき、みんな噂話が大好きでした。まあまあ給料がよくて仕事も楽というかかなりホワイトな職場だったので、ヒマだったんでしょうね。今もみなさん噂話に花を咲かせて居るんでしょうか?

別の例を挙げると、昔住んでた家の向かいのおばさんが他人の家庭のゴミの出し方にうるさい人でした。「朝何時に出せ」みたいな細かいことを言っていたような記憶があります。もちろん望ましい時間帯があるのかもしれませんが、みんないろんな生活をしているんだから無理なときもあるでしょう。色々な事情があるかもしれないから、他人のことはうかつに突っ込めないし突っ込むべきではありません。でも突っ込んでしまうのは、気になっちゃうからです。なんで気になるかというと、ヒマなんですね〜。老後に突入するとそりゃメリハリのない毎日になるんでしょうね。未来なんて老衰しかなさそうだし。

というわけで、人はヒマになるとどうしても自分以外の何かを話題にしたくなってしまう生き物です。そこで格好の話題になっているのが、theコロナです。

マスクをしてない人は注意したくなるし、マスクをしていても鼻がでていると「鼻だし」とかいう新しい修飾語までつくって注意します。

でもみなさん自分で感づいているかどうか知りませんが、感染症対策という大義名分をかかげているように見えて、もうめちゃくちゃ矛盾してます。一方ではガチガチに神経質になって他人のマスクをとやかくいい、一方では帰宅して「は〜今日も疲れた」といってマスクを外してくつろぎ、濃厚接触タイムに突入です。

それで海外にいって周りが誰もマスクしてなかったら自分もしないんですよ。自分の意思で生きているのではなく、他人と他人の間で呼吸しているようなもんです。それでいて日本に帰ったら私みたいな年中素顔人間をみて「うわあの人」とか思うんですかね?

は〜アホくさ。

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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