月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

友達100人できるわけないだろ

小さい頃は聞こえがよかったフレーズのなかで、大人になってから「それは違うだろ」と思うようになったものがありまして

・友達100人できるかな

・失敗は成功のもと

の2つです。

まず前者について。

友達100人どころか1億人できた状態がマスメディアによる情報共有と無理矢理いっていいと思いますが、マスメディア漬けになるほど人は何も考えなくなり感情でしか動かない非文化的人間になります。明らかすぎるので証明略です。

1億人までいかなくとも、クラスの40人が友達になった状態で十分です。周りの友人の目がきになって、自分のやりたいこと(内職など)や好きなことができない(あんまり人に言えない趣味とかファッションなど)なんてよくある話ですが、自分の人生なのに他人の目が気になって好きなように出来ないなんて意味不明です。

安易に「友達100人できるかな」などと歌わせずに「尊敬しあえる友人が人生で何人できるだろうか。一人でも出来たら幸せだ。」くらいでいいです。

だいたい友達100人なんてできるわけないだろ。それは友達じゃなくてLINEの連絡先を知っているだけの知り合いだ!

 

次に「失敗は成功のもと」について。

ものごとを失敗と成功に分けるのはMECE(もれなくダブりなく)ではないというのはもはや有名かもしれません。ものごとは「完全な成功」と「部分的成功」にしか分けられません。

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よく小さい子が何かに挑戦して(いわゆる)失敗をしたときに周りの大人が「失敗しちゃったね」などと無神経に話しかけている様子がありますが、そこは「部分的に上手くいったね」と伝えるのが正しい理解です。

なぜなら何かに挑戦して最初から完全に成功するなんていうのはありえなくて、かといって完全に失敗するということもありません。

たいていの場合、部分的にうまくいって、部分的にうまくいかなかった、という状態です。

それをひとくくりに「失敗」と見なすのは本当によくない。失敗と言われて気分がいい人はいません。うまくいった部分に焦点を当てる、さらにいえば、前回挑戦したときと比べてうまく出来るようになった差分にこそ焦点を当てるべきです。

たとえ完全に失敗したとしても、「このやり方ではうまくいかなかった」ということが分かった点で部分的成功と言えます。完全な失敗とは、何も挑戦しなかったことです。

 

なんでこんなこと書いているのかというと、(いわゆる)失敗をさせたくない過保護な親が多いからです。学校もそう。失敗させないように、先回りしすぎです。

勉強やテストなんて多少(いわゆる)失敗してもどうでもよくて、大切なのは(いわゆる)失敗をしたときに「これじゃダメだったな」と本人が反省することなんですが、他人にやらされた結果だと反省もクソもなくて「やっと終わった」くらいしか感じないですからね。

親や学校が先回りしてやらせるというのは、本人が自発的に挑戦していないという意味で完全な失敗です。

もちろん子供が非行に走りそうなときとかいきなり道路に飛び出そうとしたときに止めてあげるとかいうのは必要なんでしょうけど(そこ挑戦させたら死ぬ)、そういうガターを防ぐ以外の先回りは甚だ疑問です。

でも世の中先回りする親も学校も多いんですよ。それはそういう人自身が、自発的問題意識から行動する経験をほとんど持っていないからではないかと私は予想しています。他人にやらされることで人生を進めてきた人は、自分から行動するというイメージがつかないので口を出してしまう。まあ予想ですけどね!

心当たりのあるかたは、たしかにそうだという実体験を2000文字程度にまとめて当塾まで普通郵便にてご送付ください。私の研究の肥やしにさせていただきます。

いや、ちょっと待って下さい。

2000文字にまとめる過程で自分を客観視することによる精神の浄化作用が発生し、よりよい人生になると思うので、その対価として5000円を同封の上現金書留にて宜しくお願い申し上げます。

 

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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