月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

ヤバイのは高校じゃなくて○○だった件

昨日、塾名を「管理教育から国民を守る塾」に変える件で色々あらためて考えていたのですが、今まで間違えて認識していたことがありました。私は今まで塾の生徒が自由に勉強したい気持ちを無視して徹底的に勉強の邪魔をしてくる「高校」がクソなのだと思っていたのですが、実際には「高校」というのは抽象的存在であって実体はありません。実体としての校舎はあるかもしれませんが、いくら校舎が監獄に見えたとしても校舎自体は生徒になんら害を与えません。

では生徒の邪魔をしてくる実体とは何なのかというと、それは「先生」という一人の人間です。私は「補習を欠席したいという意思を尊重しない高校はクソ」と言ってきましたが、さきほど書いたように高校に実体はありません。生徒の意思を尊重しないのは先生です。それはがたった一人ではなく、1つの高校に何人もいるのであたかも相手が「高校」かのように見えてしまうのですが、相手はあくまでも人間です。

昔五条高校の生徒で私立専願だったため放課後の補習を受けずに自習したいと学校、じゃなくて先生に交渉した生徒がいましたが、結局それは叶わず妥協案として「職員室前の机でならやっていい」ということになりました。

それなら落としどころとして結構いいのでは?と思った高校生もいるかもしれませんが、実はそれ、高3の入試直前の11月とか12月の思いっきり冬です。

そんな寒いときに暖房のない廊下で自習するなんて嫌がらせとしかいいようがありません。教室と違って人の行き来もあるでしょうから、集中もできません。

そんな妥協案を提案してくるなんて、人間の気持ちなんて1mmも無いのではと思うのですが、当塾には補習を受けたくないという考えの生徒が多く、その生徒の数だけ先生と交渉する場面があるのですが、妥協案があるだけマシです。基本的には話し合いは平行線、すなわち「補習でたくないです」「ダメ絶対に出なさい」がずっと続きます。なので話し合わずに強行突破するのが最善手だったりします。

そこまでしないと自分のやりたいことが実現できないというのは明らかにおかしい。

おかしいのですが、学校の閉鎖的な性質と頭のおかしい先生が多数存在しマジョリティとなっていることからそれが普通になっています。

ではなぜそんな人の心のないことが出来るのかというと、それは「高校」という組織のなかにいる人間だからです。組織に守られていると一人の人間としての判断ではなく、「高校」という組織を運営する歯車としての判断になり、無機質な判断でも「それがうちの高校だから」というよくわからない根拠から正当化されます。

お父さんお母さんも職場で横暴な上司を見たことがあると思いますが、それも立場を利用して自分を組織の一部としてみなすことで、一人の人間とはとうてい思えないふるまいをしているのです。立場以外になんの取り柄もないような人がそういうことをします。私は前職の営業先で、ちょっと出世しただけで偉そうにする人がいてびっくりしました。でも世の中にはいくらでもそういう人がいます。

 以上をまとめると、塾の名前はやっぱり「頭のおかしい先生から生徒を守る塾」にしたいと思います。


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
http://www.sodeng.jp