昨日は大学時代に仲良くさせてもらっていたサークルの先輩とランチしました。普段、東京で働いているんですが昨日は名古屋に出張だったようです。この先輩はサークルの新歓の時に初めて会話して大変強烈な感動をもたらしてくれた人なのです。
こんなことを書いたらヒンシュクを買ってしまうかもしれませんが、いや、すでにヒンシュクを買っているとしたら大量に買っていると思うので書かせてもらいますと、私、入学してすぐこの先輩と会話したときに「自分の持っているすべての語彙を活用して会話できる!」ということにすごく感動したんです。
会話をしていてある単語を使いたくても、相手が知らない単語であろうと予想出来てしまう場合は平易な単語に変えて会話しないといけないんですが、それだと自分の世界を最大限表現しきれないのでちょっとしたストレスが高校時代まではありました。それが全く無いどころか、私の語彙のほうがショボい場合もあるのが大学でした。とくに当時の私は小論文の勉強をがっつりやった直後で、複雑な世の中を読み解けるようになったオレってすげぇ、的な中二病?高3病?にかかっていたので、難しい単語を使いたい欲求にかられていたというのもあります。笑
そういうやや幼い欲求はさておき、世の中って言葉によって解釈するものだと思うので、色々な言葉を使って眺めた世界について、その通りの言葉でああだこうだと表現しあえるのは本当に楽しい。
自分が好きなアーティストについてのマニアックな話を同じ趣味をもった友人とするのが楽しいのは、そういうディープな知識は知れば知るほど楽しいが、それに比例して共有できる仲間が減っていく(そこまでマニアックな人が減るから)ので、まれに同じ知識を共有できると「自分の言いたいこと分かってくれた」というふうに満たされるからです。それと似た感じです。
しかし会話があまりに楽しかったので、いつもは一皿ごとに「美味しい、美味しい」と思って食べる私のお気に入りの料理屋さんのランチの味を全く覚えていません。